「イースター」と「卵」の関係とは?カラフル卵とゆで卵の起源

「イースター」とはキリスト教で「復活祭」という意味ですが、イースターには色とりどりの卵が飾られます。またイースターの遊びにもたまご探しを楽しむ「エッグハント」も有名ですよね。

では、そもそもなぜイースターに卵をつかったデコレーションがあったり、卵を使って遊んだりするのでしょうか。

今回は卵とイースターとの関係のほかに、卵を色づけるようになった起源を紹介します。また古きドイツの中世には、卵がお金として使われていたことも紹介します。

「イースター」の意味とは?

「イースター」とはキリスト教で祝う「復活祭」

イースターとはキリスト教のお祝いで、イエス・キリストが復活したことを祝います。イースター前の金曜日にキリストは十字架にかけられましたが、3日後の日曜日、埋葬されていた岩穴からキリストの姿がなくなります。

キリストを心配してお墓に訪れていたマリアとほかの女たちは不思議に思いますが、すると彼女たちの前にキリストが姿を現し、生きていたときのように話したという記述が聖書に残されています。

「イースター」に春の訪れを祝う

またイースターが毎年春先にあることから、春の訪れの祝いという意味も含まれるようになりました。春が来たことを喜び、庭先に花を飾ったり、明るい色合いの春めいたデコレーションをする家庭も多いです。

イースターには何をする?

「イースター」に家族で集まる習慣

イースターは家族が集まり祝うという習慣がドイツでは根付いています。イースター休暇を使って旅行を楽しまれる方もいますが、伝統的にはイースターには家族が集い、キリストの復活を、そして春の訪れを祝います。

「イースター」ではエッグハントとゆで卵

イースターの遊びとして欠かせないのが、「エッグハント」です。お庭に卵が隠されているので、子どもたちは必死になって探します。カラフルに色づけされた茹で卵だったり、卵の形をしたチョコレートだったりしますが、時々サプライズで卵以外のプレゼントがあったりして。

エッグハントで集められた卵は、イースターの朝食に食べます。ゆで卵の先っぽ同士をぶつけ合い、卵の殻が割れた方が負け、割れなかった方が勝ちというゲームをすることもあるでしょう。
イースターの日曜日に続き、イースターマンデーと呼ばれる翌日まで、ゆで卵を食べることが多く、イースターには卵の食べ過ぎに注意です。

「イースター」と「卵」の関係とは?

「卵」が「生命のシンボル」だから

「卵」は「生命のシンボル」という考え方は決して新しい考え方ではありません。「卵」のイメージとして、「新しい命」や「豊穣」があり、また「再生」という意味も含まれていきました。

「卵」は「キリスト復活」を想起させる

イースターはキリスト教のお祝いですが、「卵」は「イエス・キリストの復活」を想起させることから、イースターには卵が飾り付けられて、卵料理がイースターの定番料理となりました。

卵からヒヨコがかえる様子が、生命が生まれてくることの喜びを表し、なおかつそれがイエス・キリストが復活することとも関連付けられるようになったのです。

「卵」は断食明けのごちそう

キリスト教徒はイースター前の40日間、断食を行います。現代ではこの風習はキリスト教徒の間でも厳格に守られなくなっていますが、中世では厳しい断食を行っていたようです。灰の水曜日と呼ばれる日(カーニバルの後の水曜日)からキリストが十字架にかけられた聖金曜日(イースターの3日前)までが断食期間で、この間は肉を食べたりお酒を飲んだりすることが禁止されていました。卵もしかり。

こうして断食明けに卵はごちそうとして食されたのでした。

冷蔵庫がなかったから…「ゆで卵」は必然

イースターにゆで卵が食べられるようになったのには、かつて冷蔵庫がなかったことと関係しています。

中世の頃のことで、断食の最後の週に断食明けに食べる卵を集めてゆで卵にしました。当時は冷蔵庫がなかったため、卵を保存するための方法として、ゆで卵にしたそうです。

また古い卵と新しい卵を間違えないように、保存するために茹でられた卵には赤く着色するという習慣もありました。

キリストがエルサレムに入城したとされるイースターの1週間前の日曜日以降に産み落とされた卵は、特に聖なるものとして扱われたそうです。

卵を色づける習慣は古代ギリシャにあった

卵に色づけたり絵を描いたりして、卵を飾る習慣は、すでに古代ギリシャにありました。きれいに装飾された卵を木の枝に吊るしたり、プレゼントとして贈ったり、卵を大切に扱い、そして装飾する習慣とは古くから伝わっています。

【おまけ】卵をお金として使われていたことも

ドイツに中世には卵をお金として使われていたこともあったそうです。これも中世の頃の話で、卵や麦は生きていくうえでとても大切な食物でした。それはお金の代わりになるほどです。そのため、農民は農地の地代として卵や麦を差し出すことが許されていました。

その卵は「Zinseier(金利の卵)」と呼ばれて、大切にされていたとのことです。