【歴史を紐解く】「カーニバル」でバカ騒ぎするようになった理由とは?

女性のためのカーニバル(Weiberfastnacht)の11時11分から始まるカーニバル。ドイツではケルン、マインツなどで、盛大なお祭りが開かれます。派手なコスチュームに身を包み、大騒ぎをするカーニバル。

ところで、なぜカーニバルは祝われるようになったのでしょうか。

今回は、カーニバルの歴史を紐解き、どうしてカーニバルが祝われるようになったのかを探っていこうと思います。

カーニバルの起源とは?

カーニバルは2つの古代のお祭りから始まった

カーニバルは古代ケルンで開かれていたSaturnalienのお祭りと、ゲルマン人が祝った冬の悪霊を追い払う祭り、この二つのお祭りが合わさって、現代のカーニバルになったと言われています。

それぞれ意味の違うお祭りでしたが、どちらも派手なお祭りだったようです。

古代ケルンにカーニバルのルーツあり

Colonia Claudia Ara Agrippinensiumと呼ばれていた約2000年前の「ケルン」は、ローマ帝国の支配下にあり、Saturnalienという土星の神を崇拝した祝祭が開かれていました。

Saturnalienのお祭りは、人々はたくさん飲み、歌い、踊り、お金持ちと奴隷は衣服を取り替えるなど身分を超えて無礼講が許される数少ないお祭りでした。また、笛や太鼓などの楽器を手に街を練り歩き、その時は手押し車の山車も出ていました。その山車の名前ですが、ラテン語で「Carrus navalis」というのです。「Carrus navalis」…「カーニバル」と似ていますよね。

ゲルマン人は春の祭りで冬の悪霊を追い払う

Saturnalienのお祭りがローマ帝国下で12月に行われていたのに対して、ゲルマン人は春にかなり野蛮なお祭りをしていました。恐ろしいマスクを付けて、太鼓を鐘を打ち鳴らしました。そうすることで、冬の悪霊を追い払えると信じられていたのです。

どのようにカーニバルがキリスト教と繋がったのか

キリスト教が国教となった時「カーニバル」が生まれた

コンスタンティン皇帝が343年にキリスト教を国教とした時、Saturnalienのお祭りは終焉を迎えます。

またゲルマン人は異教徒であったことから、キリスト教が常に目を光らせるようになりました。でも、人々の祝いたいという気持ちまでは抑え込むことができませんでした。そこで、悪霊を追い払う代わりに、キリスト教の敵である悪魔を追い払う儀式へと変わっていきました。

現在でもあるように当時もキリスト教徒の行う四旬節の断食があったので、その前にお祝いをしておこう、楽しもうということになったのです。

「カーニバル」の語源は「Carne・Vale」

「カーニバル」の語源はラテン語の「Carne」と「Vale」です。「Carne」の意味は「肉」と「Vale」は「別れの挨拶」です。つまり、「肉とサヨナラする」という意味が、カーニバルの語源になります。

カーニバルはカトリック圏のお祭り

カーニバルがキリスト教のお祭りとなってから、特にカトリック圏で盛大に祝われるようになりました。

初めはヨーロッパでカーニバルが祝われているうちに、徐々にほかの地域にも広がっていきました。スペインやポルトガル、カリブ海沿岸の地域や中央。南アメリカなどです。サンバに合わせてゴージャスなコスチュームに身を包んだダンサーが通りで踊るリオのカーニバルは世界的に有名ですよね。

かつて民衆はカーニバルで教会をパロディー化した

でも、リオのカーニバルのように毎年サンバを踊るようになった背景には、単にカトリックと結びついたからではありません。

かつてカーニバルのお祭り騒ぎが徐々にエスカレートしていき、市民がキリスト教の聖なるものをパロディー化するようになりました。神父をロバに乗せて教会に入場させて神父を笑いものにするなど、キリスト教が受け入れがたいお祭りへと変わっていったのです。

そこで、キリスト教の関係者とカーニバルの音頭を取っていた市民がカーニバルの祝い方に基準を設けました。

【カーニバルの新しい基準】

  • 職人は公共の場やホテルの前でコミックソングを歌える
  • 大道芸人はコメディアンは通りを歩くことができる
  • 上層階級はまた別に祝える

こうした新しくできたカーニバルのルールを守りながら、ケルンのカーニバルでも上流階級を中心に、マスクをつけた舞踏会「マスク・バール」が開かれるようになりました。

ケルンのカーニバルが大変なことに

ケルン市民はカーニバルが大好きでしたので、ナポレオンの支配下に置かれてもカーニバルを止めることはありませんでした。ナポレオンはカーニバルを禁止下のですが、市民はストリートには繰り出す代わりに居酒屋などで祝い続けました。

プロイセンに占領されるようになると、カーニバルは歯止めの利かないお祭りになっていきました。キリスト教的な要素が減り、マスクなどの装飾品も理屈っぽさがまるでない非常識な祭りへと発展していきました。その結果、現代のカーニバルになったのです。

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まとめ

日本ではあまり祝われることのないカーニバルは、ヨーロッパ古代の土星神の信仰から始まりヨーロッパの外へと広がっていきました。当時のお祭りもかなり羽目を外したもののようでしたが、ケルンではナポレオンによって禁止されたことからの反動もあってか、それ以降にキリスト教との関係も薄らぐほどの羽目を外したお祭りへと発展していきました。

現在でも熱狂的なファンのいるカーニバルですが、その歴史は本当に長いんですね。