ドイツの歴史をざっくりと解説!【分割占領から再統一まで】

分断されて再統一したという人類史上でも珍しい歴史を国「ドイツ」。あなたはドイツがどのように分断されて、そして再統一を果たしたのかご存知でしょうか。

この記事では、戦後のドイツの歴史を紐解いていきます。歴史が苦手という方にもわかりやすくざっくりと解説しているので、読んでみてください。

【この記事をおすすめの方】
〇 ドイツが分割占領された歴史を知りたい方。
〇 西ドイツと東ドイツが建国された理由を知りたい方。
〇 どのようにドイツが再統一されたのかを知りたい方。
〇 ドイツの現代史を面倒くさくなく、簡単にわかりたい方。

 

 

ドイツは4ヶ国に分割占領

ドイツは米・英・仏・ソにより分割占領される

ドイツは敗戦により降伏すると、アメリカ・イギリス・フランスの西側諸国とソ連の4ヶ国の管理下に置かれることになりました。

この4ヶ国の分割占領は、ドイツという国を分断するという趣旨で行われたものではありません。

1945年6月5日に出された「四国宣言」に続く、8月のポツダム協定でも確認されているように、ドイツを4ヶ国に分割して統治することは、非ナチ化をすることが目的であり、ドイツの統一性は保たれることが宣言されています。

しかし実際には、米・英・仏の占領する西側とソ連が先勝する東側で大きな隔たりを生んでいきました。

米vs.ソ連がドイツで繰り広げられていく

ドイツを4ヶ国によって占領することで、戦中からもあったアメリカ・イギリスの西側陣営とソ連との対立が、ドイツを舞台に繰り広げられていくことになります。

ドイツの西側を占領するアメリカとイギリスは、民主主義を基礎にした自由主義経済を推し進めていきました。一方、東側を占領するソ連は社会主義化を目指しました。

西と東の対立を決定的にしたのが、西側が行った通貨改革です。

西側は1948年6月に「ドイツマルク」を導入。さらに自由価格制も取り入れました。

これはポツダム宣言に掲げられた経済的なドイツの統一という趣旨に反する行為だっため、ソ連側が反発します。

その結果、ソ連はベルリン封鎖へと踏み切っていくのでした。

どうしてドイツは東西に分断されたの?

東西分断のきっかけとなる「ベルリン封鎖」

1948年6月24日、ソ連はベルリンを封鎖して、西側からの自由な流通などを禁じました。これが「ベルリン封鎖」です。

ベルリンは、ドイツ全土が4ヶ国によって分割占領されるのとは別に、ベルリンの都市内でも4分割されて占領されました。

ソ連がベルリン封鎖を行ったことで、西側が占領していたベルリンの区域はソ連領に囲まれることになり、西ベルリンが孤立してしまったのです。そのため、アメリカ軍が西ベルリンに食料などの生活必需品を輸送する「大空輸作戦」を行いました。

ベルリン封鎖は米ソ対立の深刻化を象徴するもので、世界的にも緊張を煽ることになったのですが、スターリン政権は譲歩したため、ベルリン封鎖は1949年5月11日に解除されました。

「西ドイツ」と「東ドイツ」に分断へ

ベルリン封鎖は解除されたものの、米ソの対立が解消されませんでした。

その結果、1949年5月に新しい国家建設を定めた西ドイツ基本法を公布して、9月にドイツ連邦共和国、通称「西ドイツ」が建国されました。

続いて、10月にソ連が占領する地域で「ドイツ民主共和国」、通称「東ドイツ」が成立しました。

【ベルリンの壁の建設は1961年から】
ドイツ分断と聞くと思い出されるのが、「ベルリンの壁」ではないでしょうか。
しかしベルリンの壁の建設は、ドイツが西ドイツと東ドイツに別れてから約10年後の1961年です。東ベルリンの住人が西側へと流出するのを妨げる目的で、ベルリンの壁の建設が始まりました。1989年11月9日に解放されるまで、「ベルリンの壁」は「東西冷戦の象徴」として知られています。

ドイツが再統一できた理由とは?

米ソ冷戦終結からドイツ統一へ

資本主義経済を基礎にした西ドイツでは、飛躍的に経済復興が進んでいきました。その一方で、東ドイツは共産主義化により集団農場の建設などが進められ、西ドイツと東ドイツでの経済的な格差が生じました。

そのような状況で1970年代に入ると、ブラント首相率いる西ドイツ政権は東方外交を始めて、歩み寄りの政策がとられます。

東西ドイツ基本条約が締結(1972年12月21日)されてドイツ再統一の兆しが見えてきます。

このタイミングで、ソ連にゴルバチョフ政権が誕生します。1985年にソ連共産党書記長となったミハイル=ゴルバチョフはペレストロイカを掲げて改革を行い、アメリカ大統領ブッシュとも冷戦終結を宣言します。

東ヨーロッパの社会主義諸国では民主化(東欧革命)の波が高まり、その影響からドイツでも、東ドイツから西ドイツへの移住に拍車がかかっていきます。

そして1989年11月9日、ついにベルリンの壁が解放されました。

1990年10月3日、ベルリンで「ドイツの旗」が舞った

1990年10月3日の午前0時。

ベルリンの今日帝国議会議事堂前でドイツ国旗が掲げられました。ドイツの分断が終わり、ドイツが統一されたことの知らされたのです。

 

戦後まもなく東西に分断されたドイツは、1990年10月3日に正式に統一されました。

ドイツの東西分断の歴史は、45年間の年月を経て終わりました。

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まとめ

ドイツが分割占領されて再統一するまでの歴史を駆け足で見てきましたが、いかがでしたか。

ドイツが分断されて再統一されるまでのポイントは次の4つです。

〇 敗戦後、ドイツは米・英・仏・ソにより分割占領。
〇 米ソ対立から、ドイツが分断へ。1949年、西ドイツと東ドイツの建国。
〇 冷戦終結で、ドイツも再統一。
〇 ベルリンの壁の建設は1961年で、東西ドイツが建国されて10年以上経ってから。

敗戦から再統一を成し遂げるまでのドイツは、ドイツ主体ではなく世界情勢に翻弄された結果として分断されてしまいました。

再統一を果たせた喜びは大変大きなものでしたが、その30年後の現在、いまだに東と西では大きな隔たりがあるようです。

2021年9月に行われた総選挙ですが、元東ドイツ地域のなかには極右政党AfDが第1党になった地域もあります。

真の意味での東と西の再統一はまだ模索中だと言えるでしょう。

ドイツという国が今後どのような展開を見せていくのか注目です。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。では、また!