10月3日は祝日「ドイツ統一の日」とは?ドイツ統一までの歴史をわかりやすく解説

10月3日(火)はドイツの国民的祝日です。「ドイツ統一の日(Tag der deutschen Einheit)」と名付けられた祝日ですから、東西ドイツが統一されたことを記念している日だと想像がつきますが、どのような経緯で統一されたのかご存知でしょうか。

今回は、ドイツが統一された経緯を簡単に振り返ってみようと思います。豆知識として、参考にされてみてはいかがでしょうか。

10月3日「ドイツ統一の日」の意味とは?

「ドイツ統一の日」は「東独が西独に加盟したことを記念」

「ドイツ統一の日(Tag der deutschen Einheit)」とは、1990年10月3日にドイツが統一を果たしたことを記念した祝日です。

「ドイツ統一」とはどのような形で行われたかと言うと、通称「東ドイツ」と呼ばれるドイツ民主共和国(DDR)が、「西ドイツ」として知られるドイツ連邦共和国に加盟するという形でドイツは統一されました。このことを公式に認められて発表されたのが、1990年10月3日でした。

1990年10月3日は東ドイツの41回目の建国記念日の4日前のことで、建国記念日を前にして東ドイツは国家としての主権を失ったのです。

ドイツ統一の日は、1990年の10月3日以来、全国的な祝日として祝われています。

ベルリンの壁の崩壊は1年前の1989年11月

東ドイツの崩壊の象徴として語られることの多い「ベルリンの壁崩壊」ですが、ベルリンの壁はドイツ統一が公式に認められる約1年前の1989年11月9日の出来事です。

1989年11月9日に、東ドイツ政府がそれまで禁止されていた東ドイツ市民の旅行自由化ともとれる、ある意味、不明瞭な発表したために、その日の夜にはベルリン市民が検問所に殺到して、なし崩し的に検問の扉を開きました。特別な許可がなくても東ドイツ市民が西ドイツに行けるようになったのです。それをきっかけに、ベルリンの壁崩壊となりました。

ベルリンの壁崩壊からドイツ統一までの流れ

ここからは、ベルリンの壁崩壊頃からドイツ統一までの大まかな流れを、重要な出来事を抑えながら振り返ってみましょう。

1989年秋ごろから変化が起こり始めた

  • 1989年秋、東ドイツ国内で、月曜日のデモンストレーションと呼ばれるデモが盛んになり、自由を求める市民の声が強まる。
  • 1989年11月9日、東ドイツ政府が東ドイツ市民の個人旅行の自由化を容認するような発言を記者会見で行う。
    SEDの中央委員会の幹部ギュンター・シャボウスキーが次のように発言「私の知る限りでは、…すぐに行われる」
    „Das tritt nach meiner Kenntnis … ist das sofort, unverzüglich.„
  • 市民からのドイツ統一の声が強くなる。
  • 1990年の夏、東ドイツでドイツの貨幣「ドイツマルク」を導入して以来の経済状況が悪化したため、東ドイツ市民が西ドイツ側への流入が加速する。
  • ドイツ全体が混乱するという恐れから、東ドイツの首相が8月3日に、西ドイツに加盟することを10月14日に前倒しすることを提案した。
  • 9月12日、アメリカ、ソビエト、イギリスとフランスが、モスクワでドイツにかんする最終的解決条約(Vertrag über abschließende Regelung in Bezug auf Deutschland)に調印した。この条約には、この統一により、ドイツが主権を得ることが盛り込まれた。
  • 10月3日午前0時、ベルリンにある国会議事堂前でドイツ国家が演奏されて、ドイツの国旗として黒・赤・金色の旗が掲揚された。こうして、1990年10月3日以来、10月3日は「ドイツ統一の日」として祝日になっている。

まとめ

10月3日は「ドイツ統一の日」としてドイツ全体で祝日になっています。東ドイツ市民の声が後押しとなり、ベルリンの壁崩壊へとつながり、東ドイツ経済の悪化も相まって、東ドイツが西ドイツに加盟するという形で統一されたドイツ。

まだほんの30年ほど前の出来事です。

政治的に統一されたとはいえ、まだ旧東ドイツと旧西ドイツの間には違いがあると言います。経済面だけでなく、人々の思想の間に見えない壁があります。

本当の統一はまだ終わったとは言えないドイツ。今後、どのようにこの国が発展していくのか気になるところです。