【海外移住】多文化を受け入れる地域性と日本人コミュニティとのつながり

お嫁さんが来てくれない、家族がこのままではなくなってしまうという危機感。そうした問題を抱えているご家族は日本各地にあるかと思いますが、特に東北地方では嫁不足問題を解消するために、海外から来たお嫁さんが多くいるそうです。

海外で暮らすこと。それは、文化が違う、言葉が違う、習慣が違う。海外から来たお嫁さんたちは、日々の生活に迷いながら生活していることでしょう。

ただ、東北地方で見られる結婚移住では、日本の文化を全く知らないまま結婚して日本へ移住してくるケースがあり、この場合のお嫁さんたちの戸惑いは、想像を絶しているようです。

【「結婚移住」とは】
「結婚移住」とは、国際結婚を理由にして海外に移住すること。
この記事内では、海外籍を持つ女性が日本人男性と結婚をすることを理由にして、日本に住むことという意味で使っています。

難民支援協会のホームページに記載された『東北の男性と結婚した外国人女性たちの経験。不可視化の理由と託された言葉の数々』によると、結婚前の条件が違う、家族のだれからも認められないということがあるのだそうです。

ある結婚移住をしてきた女性は、次のように語ったそうです。

私はここで生きるために結婚をして来たけれど、家族を求めたけれど、家族にはなれないな、私はただこの家に雇われた従業員だと思って生きることにした

さらに、そうした主婦生活を送っているお嫁さんたちの場合、家の中に閉じこもっていることも多く、地域との結びつきも薄く、また同国出身者のコミュニティとも繋がれないということもあるそうです。

 

私も海外に住んでいます。海外に住み、夫がいて子どもたちがいます。結婚移住をした女性たちのように、主人との結婚を理由にして海外で住むようになったわけでもありません。

でも、この結婚移住の問題が他人事のように思えないのはなぜでしょう。

それは、私が家族共に暮らして守られているにもかかわらず、常に感じることのある孤独感です。結婚移住した女性たちも、閉塞感をともなう孤独感があるのではないかと思えたのです。

恵まれた海外生活にある孤独感

私の海外生活は恵まれているが偏見に慣れる必要がある

私が住むドイツという国は、移民の受け入れに寛大な傾向がありますし、実際に住んでみても人種偏見による住みづらさを感じたことは少ないです。

全くないのか、と言われたら、それは嘘でしょう。

中国人と見られて冷やかされたことは、これまでに何度となくあります。アジア人の中でも中国人に対して偏見は強いというのが、これまでドイツ以外にも、イギリスなどの国々で暮らしてきた印象です。

私の外見から中国人と見られてからかわれたり、バカにされたりすることがありましたが、すでにそういうことに慣れてしまいました。そうしたことに麻痺してしまっているので、それほど気にならなくなっています。

ただ、外国に住むということは、そうした状況に慣れないといけないところがあると言い換えられると思います。

多文化を受け入れているドイツという国でさえ、人によってはそれを良しとしない人もいます。そうしたことを常に肌で感じながら暮らすということが海外生活だと思います。

たとえ子どもがいても、海外生活に孤独はつきもの。

海外で暮らせば、いろんなことが違うことに気づきます。窓外に見える植物や建物などの日本とは違う景色が広がっています。気候も違えば、水も違う。食文化も違い、私が食べたいものがすぐに買えるような環境ではありません。お腹が空いたからおにぎりでも、なんて感覚でおにぎりを買うことはできませんし、そもそもコンビニすらありません。日曜日になれば、カフェやレストランを除いて、店が閉まってしまいます。

海外なのだから当たり前なのですが、この当たり前を受け入れられないときもあります。日本人が経営する食材店などでは日本食材を買えますし、日本人が経営するレストランやカフェもあります。日本を感じながら生活することはできないわけではありませんが、ある程度、制限のある中で暮らしていくことになります。

日本にいるようには生活ができないという意識し始めるとどうなるのか。そうした状況では、孤独を感じられるようになります。誰かが非難したわけでも仲間外れにされたわけでもないのに疎外されている気分になるのです。

たとえ血のつながりのある家族と一緒に暮らしていても、その疎外感はなくなりません。私の子どもたちは実子ですが、彼らはドイツで生まれてドイツで育っています。彼らにはドイツでの生活習慣や考え方が深く息づいています。その子どもたちに、「言わなくてもわかってよ」という私の“日本人的な心理”は理解できません。「言ってくれなきゃわからないよ」が彼らのコミュニケーションなのです。

そんなものかしらねえ、とお互いに受け入れ合っているうちはいいのですが、疎外感が抱いているようなときに「言わなくてもわかってよ」が出てくると、「言わなくてもわかってほしい」が「なぜわからないんだ」といら立ちや怒りに変わってきてきます。こうなるとコミュニケーションが取れなくなっていきます。さらに追い込まれていくと、唯一の外国籍を持っている私が孤立するようになっていきます。主人に相談すれば私の心情を汲み取ろうとしてくれますが、彼にとっても最終的に行きつくところは、仕方がない、私のやり方では通じにくい、というところに帰着します。

完全なる悪循環に陥っているのは重々承知です。また海外で済むことを選んだのも私自身です。それでも、ふとしたことをきっかけにして、猛烈な孤独感が襲ってくることあるのです。

孤独から逃れる方法は?

孤独だと感じられるときに、どのような救われる方法があるでしょうか。

私には3つの方法があります。

  1. ひとりになること。
  2. やけ食いをすること。
  3. 日本人の友人か、日本人コミュニティと繋がること。

ひとりになること

ひとりになることは、最も簡単な方法です。孤独を感じられる場所から出ていけばいいのですから。別の部屋に移る、または外に出るかして、一人になる時間を持ちます。

そこで思いの丈を吐き出します。思いっきり泣いたっていいし、叫んでもいい。周りに人がいないことを確認したほうがいいでしょうが、そうやって不快感をすべて吐き出します。

出し尽くしたところでどうなるのか。

これまでの経験では、結局、また家族の元に戻るということに落ち着くのです。自分の帰る場所は家であり、そこで生きていくしかない、と。これは諦めに似た気持ちでもあるのですが、私はそこに守られているということも事実だと自覚します。

やけ食いをすること

冗談ではなく、私は孤独な時に限らず、いらいらするときや怒った時は、尋常でない食欲が湧いてきます。食べたところで何も解決しないのですが、食べれば体も温まってきて安心してきます。

孤独をごまかし忘れるのに、やけ食いは悪くない方法だと思っています。

日本人と繋がること

もしも私に日本人の友人がいなかったら、私は自分の孤独から抜け出すことにとても時間がかかるでしょう。海外で暮らす日本人たちは、多かれ少なかれ、私と同じように孤独感を体験している人が多いので、私の心情の吐露を熱心に聞いてくれます。

時には共感さえしてくれます。「私もそういうことあったよ」「そんな風に感じること、しょっちゅうだよ」といった具体に返してくれるのです。そうした一言に、どれほど救われるか。遠くに住む親戚よりも近くに住む他人などと言いますが、同じ環境にいるからこそシェアできる気持ちというのは確かにあって、自分の孤独に寄り添ってくれる人がいることで解放された気持ちになれるのです。

日本人の友人を持つこと、または地域に根差した日本人コミュニティや教会等での日本人との繋がりは、海外で暮らすときに大きな助けになってくれます。

海外生活に孤独はつきものだから人との繋がりを大切にして

海外で暮らすことはマイノリティとして暮らすということ。仕事や育児に忙しいと日常に忙殺されていて気づかないこともあるけれど、ふと「孤独」と感じられることも。そんな時、一人の時間を大切して、感情を吐き出してみる。また、人との繋がりで救われることも。

孤独に寄り添ってくれる人を見つけてみましょう。時には神様にも祈ってみたりして、私たちは1人ではないということを感じ取れたら、きっとまた復活できるはずです。