新型コロナウイルスに振り回されたクリスマスイブでした。新型コロナウイルスにより街中、教会の礼拝などに規制がかかっていても、クリスマスはせめて祝いたいという気持ちがドイツ人は強いです。ドイツ人にとってクリスマスは年に一度の家族が集まるイベントで、日本のお盆の帰省やお正月のようなものですから。
では、新型コロナウイルスの蔓延を避けるための規制があっても、クリスマスを楽しめるのでしょうか。通常の祝い方とはどのように違うのでしょうか。
今回はわたしの覚書として、クリスマス前夜祭であるクリスマスイブを家族と一緒にどのように過ごしたのかを記します。
対コロナの規制でクリスマスイブを楽しめるのか?
最後の買い出しもマスクとともに
クリスマスイブの午前中は、毎年のように最後の買い出しに追われます。この日の午後からクリスマスの祝日になっている26日までお店が閉まってしまうからです。
26日までの料理のプランを見直し、足りていない食材を買うことは必須。スーパーはもちろんのこと、パン屋も閉まるので休み中のパンの買いだめなどもあり、朝からお店をリレーするのが恒例になっています。
買い物リレーをしないように準備できればいいんですけど💦
スーパーなどの生活必需品を売る店は3Gルール下ですから、マスクをつけさえすれば店内に入れます。コロナ2年目ですからさすがにマスク着用には慣れました。
ただ今でも違和感があるのは、お店を出た後、マスクをつけながら道を歩いている人々の姿です。お店から出てきた姿のままマスクを口元に付けている人もいれば、マスクをあご下までずらして歩いている人もいます。
マスク姿とクリスマスに違和感
見方を変えてファッションとして捉えられなくもないのかもしれませんが、それにはどうしても美しさが足りません。その光景に、つい目をそらしてしまいます。
時間との戦いであるクリスマスイブの最後の買い出しに余裕はないのですが、せめて目だけでもクリスマスを楽しみたいと思っているときに、目に入ってくるのはあご下にずらされたマスク。
ストリートを飾るクリスマスのデコレーションも色あせて見えてしまいます。
クリスマス礼拝には行かないという決断
義理の両親が到着後、昼食を取りながらクリスマス中のスケジュールの確認をしている中で、教会でのクリスマス礼拝に行くかどうかを話し合いました。
クリスマス礼拝に行くことは恒例になっているので、本来では「行くかどうか」で話し合うことはありません。
でも今年はコロナによる規制でG2プラスが教会の礼拝にかけられています。規制を守りさえすればある程度、安全に礼拝に参加できるはずなのです。
ただ義理の両親が高齢なことと、クリスマス最終日に尋ねる予定にしている叔母はコロナ感染リスクが高いこともあり、慎重になるべきだという意見が出てきました。
それに強く反対する声も上がらず、今年のクリスマス礼拝は行かないことになりました。
行動制限されることのストレス
たかがコロナと言いたいところですが、やはりそうはいきません。コロナから身を守るために、必要なことをするというのは理性の判断で、そうあるべきだと思っています。
でもその一方で、行動を制限されているということを自覚したときに、ストレスになっています。
コロナによる規制もされていることだし問題なしと考えて、コロナに振り回されず行動するというのもひとつです。確かにそういう人たちもいて、クリスマス礼拝にも赴いています。
でも教会を覗いてみれば、会堂に集まったのはいつもの1/3ほど。空席が目立ちます。
このような現状を見ると、クリスマスの祝い方も考え方を変える必要があるのだと実感させられます。
規制のなかでもクリスマスを祝おうとするなら、恒例通りにしようとは思わないこと。
家族単位でクリスマスを祝えればそれでいいじゃないか、と思考を転換すれば、クリスマスを祝えるようになるはずです。
ただ思考の転換の前に、これまで通りにやってきたことをやってはいけない、あきらめなくてはいけない、という思いが出てきます。これは伝統を重んじる傾向のある我が家ではかなりつらいことです。
それに努力して思考の転換をしなくてはならないほど重要なことかと言えばそんなことはなく、「コロナって大変だな、迷惑だな」と愚痴っていればクリスマスも終わっていきます。
たかが数日のクリスマスですから、愚痴りながら終わっても後悔もそれほど残らないでしょう。ただ、楽しいクリスマスって感じではないですけどね。
イブの夕食でもコロナが話題に
「コロナの話は禁断にしなくては」とわかっていても、どうしてもそっちに向いてしまいます。近況をそれぞれ話して食事を楽しむというのがイブの晩の過ごし方なのですが、コロナネタは避けれません。
何をきっかけにしてコロナの話になったのかはよく覚えていないのですが、メルケル政権を振り返った時のポイントは、政権初期の経済対策とEUとの関係、移民対策、そして対コロナ対策だったという話から、コロナ関連の話になったように思います。
新しい規制案がクリスマス後に施行されることへの個々の意見。強く批判する義理の母に、主人が現政権の立ち位置や社会に与える影響などを考えるとここに落ち着くという政府寄りの意見が出てくると話しかける。
義理の父はそれを俯瞰しながら、コロナも風疹やはしかと同じレベルでの危険性があると考えれば、コロナワクチン接種の義務化もできると訴えてくる。私はもしもメルケル政権だったらどのようにしていたのかなどと意味のない仮定を投げかけてみる…。
結局、イブの夕食中もコロナの話をしています。
病気の話題でクリスマスイブを盛り上げたくないはずが、どうしてもそちらの話になってしまうこの現状、この家族。
では、なんだったらクリスマスイブの晩の話題として相応しいのかと言えば、それはそれで思いつきません。結局、久しぶりに顔を合わせるおじいちゃんとおばあちゃんが一緒の食事なのですから、私たちが直面している事がらが中心になるのは当たり前で、話題がコロナになるのも自然な流れです。
「こうしてコロナ下であっても家族が揃って集えたことを感謝すればいいじゃないか」と言ったのは私の娘。きっと、その通りなのだと思います。
コロナだろうが何だろうが、また会えてよかったと思えることが家族にとって大切なことなのでしょう。
あ!思い出しました、クリスマスストレスを避ける方法のひとつを。
「クリスマスに政治の話題をしてはいけない…」
ドイツで過ごすクリスマスと言えば、家族と一緒のクリスマスではありませんか。遠方に住んでいて親戚なども集まり、みんなで楽しく過ごすアットホームに過ごす…素敵だな、と最初は思ってました。でも、毎年のようにクリスマスをお祝いするようになり[…]