【12月6日】「聖ニコラウスの日」の意味とは?ドイツでの祝い方・サンタとの関係

11月下旬にもなると、ドイツではクリスマスイベントの目白押し。アドベントクランツに最初のロウソクに火をつけたら、数日後にはアドベントカレンダーが始まり、1週間も経たないうちにニコラウスもやって来る!

ところで、このニコラウスとは誰?
そんな疑問を持たれた方は少なくないはず。

そこで、ニコラウスのモデルとなった聖ニコラウスの人物像や、ドイツでの聖ニコラウスの日の祝い方、聖ニコラウスのモデルとなった二人のニコラウスについて紹介します。また、ニコラウスの助っ人「ループレヒト」についてや、ニコラウスと瓜二つのサンタクロースとの関係についても解説します。

ご存知のエピソードもあるかもしれませんが、お付き合いくださいませ。

【前章】子供たちが楽しみにしている「聖ニコラウスの日」

12月6日にニコラウスがやって来る!

ドイツでのクリスマス関連のイベントは1カ月も続いて、準備するママさん、パパさんは大忙し。

アドベントクランツ、アドベントカレンダー…その次のイベントが「聖ニコラウスの日」です。

子どもたちは「聖ニコラウスの日」を楽しみにしています。なぜなら「聖ニコラウスの日」の12月6日にはニコラウスのおじさんがやってきて、子どもたちにプレゼントをくれるからです。

クリスマスにはサンタが来てくれるのだから、ニコラウスからプレゼントをもらう必要はないんじゃないの?と心なかで毒づくのは私だけでしょうか。

ばどほん

子どもの夢を壊してはいけないのですが…

では、なぜニコラウスは12月6日にやって来るのでしょうか。しかもその姿はサンタクロースにそっくり。それは、どうして?

「ニコラウス」とは誰?

「聖ニコラウス」のモデルは2人いる⁈

12月6日にやって来る「ニコラウス」とは「聖ニコラウス」のことで、ドイツ語では「der Heilige Nikolaus」と呼ばれています。

「聖ニコラウス」のモデルとなったと言われるのが、「ミラ(Myra)のニコラウス」です。270年~286年の間に、トルコのアンタルヤから南方向へ約100キロ離れたリュキア(Lykien)のパタラ町(Patara)で生まれました。そしてのちにミラという町で聖職者になりました。

このミラのニコラウスが聖ニコラウスだとする有力説がある一方で、ミラのニコラウスのほかにもう一人「シオン(Sion)のニコラウス」も聖ニコラウスのモデルだったいう説があります。「シオンのニコラウス」は6世紀ごろに生きた修道院長でした。

「聖ニコラウス」のモデルが、ミラのニコラウスだけなのか、それともミラのニコラウスとシオンのニコラウスのお2人なのかは、はっきりとしません。しかし二人のニコラウスは共にリキュアに住んでいたことだけはわかっています。

「ニコラウス」の名前の意味は「人々の勝利」

「ニコラウス」という名前は、ギリシャ語で「人々の勝利」という意味です。

ミラのニコラウスという人はその名前にふさわしく、貧しい人々に献身的だった人として伝えられています。両親はニコラウスが子どもの頃に亡くなり多くの遺産を引き継いだのですが、その遺産を貧しい人々に使ってほしいと願い、面識のあった生まれ故郷のパタラの司教に渡しました。

19歳で祭司となったニコラウスは、パタラの司教が亡くなるとその後を継ぐようにと言われたのですが、それを断りミラに移り住みました。

そしてミラのそばにあるシオンの修道院で司教となり、貧しい人に恵みを与える慈悲深い司教として、343年12月6日に生涯を終えました。

聖ニコラウスはプレゼントを持ってきてくれる人

聖ニコラウスはプレゼントを持ってきてくれる人として知られています。それは、聖ニコラウスの貧しい人たちに恵みを施すなどの数々のエピソードから生まれた聖ニコラウスの人物像に由来しています。

エピソードの一つには、嵐で沈没しそうになった船に現れて船の舵を切り、船員たちを救ったというものがあります。

また、ある時は結婚のための持参金を用意できない3人の娘のために、こっそりと窓から金のリンゴが入った袋を投げ入れて、3人とも無事に結婚させたというエピソードもあります。

こうして人々を救うための行いと、また人々を救うためにたくさんのプレゼントをしたという逸話が継承されて、現代では「聖ニコラウスの日」は、ニコラウスが子供たちのためにプレゼントを持ってきてくれる日になっています。

ニコラウスと悪役ループレヒト

ニコラウスが子どもたちにプレゼントを持ってきてくれるようになったのは、1555年頃からだと言われています。しかしニコラウスは1人では現れません。ニコラウスにはクネヒト・ループレヒト(Knecht Ruprecht)という助っ人も一緒でした。

ニコラウスとループレヒトは子どもたちにお菓子を入れていってくれる人だったのですが、17世紀になるとニコラウスはいい子にはプレゼントをくれるいい人となっていくのに対して、ループレヒトは悪い子を懲らしめる存在になっていきました。

「お祈りができるか」と聞いてできないと答えた子供を、ループレヒトは棒で叩いたり、時には彼の背負う大きな袋に悪い子を入れてしまったりするというのです。

ニコラウスと悪役ループレヒトの対峙。こんな相棒がニコラウスのそばにいたんですね。

なぜ聖ニコラウスの日は12月6日なの?

12月6日はミラのニコラウスの命日

なぜニコラウスの日が12月6日かと言うと、ミラのニコラウスの命日が12月6日だからです。貧しい人々に奉仕をした聖ニコラウスの行いを思い出すために、ニコラウスの命日である12月6日が聖ニコラウスの日に選ばれました。

12月6日はキリスト教会では大切な日

12月6日はドイツでは祝日こそならないものの、キリスト教系でも特にカトリック派の教会では重要な日だと考えられています。

また、ドイツの隣国ルクゼンブルクでは、幼稚園は休園、小学校は休校になり、ニコラウスがプレゼントを持ってきてくれるのを待ち日になっています。

ロシアや正教会では、ミラのニコラウスを地球のエンジェルや世界を救う者として崇めています。このようにして、聖ニコラウスの日をクリスマス以上に大切だと考えている地域もあります。

聖ニコラウスの日のお祝いの仕方とは?

12月5日の夜にブーツや靴下をおく

ニコラウスがやって来るのは12月6日です。子どもたちはその前夜である12月5日の夜に、きれいに磨いたブーツを玄関先に置いておきます。また、靴下を暖炉の前にかけておくこともあります。

子どもが寝ついたらニコラウスはやってきて、ブーツや靴下のなかにプレゼントを置いていってくれます。

「ニコラウス」はもともと真っ白い衣装だった

「ニコラウスはどんな格好をしている?」と子供たちに聞けば、そのほとんどが真っ赤なコートを着ていると答えるでしょう。でも本来の「ニコラウス」は白い衣装を着ていました。

ニコラウスのモデルは「聖ニコラウス」ですから、カトリック派の教職者が着る白いマントを聖ニコラウスもまとっていました。

しかし、ニコラウスの伝統がアメリカに渡ると「サンタクロース」となり、サンタクロースは赤と白の洋服に帽子をかぶるようになりました。

サンタクロースの影響で、ニコラウスもサンタクロースを同じ格好をするようになりました。ニコラウスが12月6日だけでなく、学校や幼稚園、クリスマスマーケットなど子供たちが集まる場所に登場するようになったのもサンタクロースの影響です。

ニコラウスの代わりにクリストキントが訪れる地域も

12月6日にニコラウスが来る代わりに、クリストキント(Christkind)が訪れる地域もあります。クリストキントは「幼児キリスト」や「幼いキリスト」という意味ですが、想像されるイメージは幼少期のキリストではなく、女性の天使です。

ニュルンベルクでは2年に1度、クリストキントが選ばれるコンテストがあるのですが、選ばれるのは女性で、大きめのカールをした金髪のかつらに白い衣装を身につけます。

ニコラウスからクリストキントに変わった理由は、ルターによる宗教改革によりニコラウスの晩が廃止されました。その代わりとして「聖なるキリスト(Heilige Christ)」が登場し、聖なるキリストから発展したクリストキントがプレゼントを持ってくるようになったのです。

この新しい伝統は20世紀初期のカトリック派では浸透するようになり、クリストキントがプレゼントを持ってきてくれます。ただしそのプレゼントは大きなプレゼントではなく「小さなプレゼント」が子どもたちに贈られるようになりました。

まとめ

12月6日は聖ニコラウスの日で、聖ニコラウスが貧しい人に慈悲を行った行為が、現代にも受け継がれて、ニコラウスがプレゼントを持ってきてくれる日になっています。地域によってはクリストキントがプレゼントを持ってきてくれるところもありますが、子どもたちがプレゼントほしさに、前夜にブーツや靴下を飾るのは微笑ましい光景です。

ところで、12月6日にニコラウスがプレゼントを持ってきてくれるなら、クリスマスにはプレゼントはないの?誰もプレゼントを持ってきてくれないの?

いえ、そんなことはありません。クリスマスにもプレゼントはあります。

ばどほん

だからママやパパは準備が大変なわけですが…

では、誰が持ってきてくれるのか。アメリカ版ニコラウスのサンタクロースがドイツにもやって来るのでしょうか。

その答えはまた別の記事で。

 

最後までお読みいただきましてありがとうございました。では、また!