もしかして毒親?一喜一憂させられて子育ては楽じゃない

たまにこういうのを書きたくなってしまいます。しかも私の育児の経験談。誰かの役に立つという内容ではないと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

ちゃんととは言わないまでも、それなりにしっかりとした子どもに育てたいという思いで、毎日子育てをしていらっしゃる方も多いはず。

私もそんな親のひとり。

でも、子どもの一言に振り回されて、小言を言い、もしかしてこれって毒親の第一歩を踏んでしまったの?と自省する始末。一生懸命だからこそ、反省も多い子育て。

今回は、私と娘の間でまさに現在、繰り広げられている親子関係について書いてみようと思います。

もしかして、毒親?

「毒親」とは「子供に悪影響を及ぼす親」

「毒親(どくおや)」とは、子どもに悪影響を及ぼしている親のことで、スーザン・フォワード著『毒になる親 一生苦しむ子ども』という本が話題になって、生まれた言葉だそうです。

「毒親」の定義はないものの、「毒親」の特徴として「子供への過度な過干渉」や「管理」「支配」なんて言葉が並びます。虐待も毒親と呼ばれる親の特徴をあげられるそうですが、これらをまとめると「子供に悪影響を及ぼす親」ということになりそうです。

「毒親」の特徴「子供への過度な過干渉」

子どもが悪影響を受けていると思えることとは、どういうことなのでしょうか。

ご飯を作ってくれないなど、子どもの身の回りの世話してくれない親、ということでしょうか。でも、仕事で忙しい共働きの親なら、子どもの身の周りの世話を十分にできないかもしれません。子どもによっては、親が働く姿を見て、寂しい思いをするかもしれないけれど尊敬されることもあるはずで、そういう親が毒親とは呼ばれないでしょう。

では、何が毒親なのか。

子どもに肉体的、またはメンタル面で人権を犯し、性格に支障をきたらすような行為をする親ではないでしょうか。

子どもの個性を伸ばす、特徴を生かしているなどの美辞麗句の基に、子どもの特性やキャラクターとないがしろにして、親の思うような理想の子どもに育て上げようとすること。そのために、毎日のように子どもを調教しようとする親の言動、行動、態度を取る親が、毒親と呼ばれることがあるのではないでしょうか。

私が毒親かもしれないと思えた発言

私の子どもが習い事を辞めたいと言ってきました。その習い事とは本人がやりたいと言って始めたものですから、2年もしないうちに辞めると言い出すとは思ってもみませんでした。

本人が楽しんでいると思い込んでいたものですから、とても驚き、そのわけを聞きました。

すると、「おもしろくない」と答えます。

おもしろくない…。

そんな簡単に片づけられることなのか、私には大きく疑問でした。私は彼女を習い事に週3回連れていき、そのために食事の支度を早めたり、ほかの人とのスケジュールを調整したりするなど、忙しなく動き回ってきました。それを「おもしろくない」の一言ですべてチャラにされてしまうのかと思えて、なんだか空しくなってきました。

それから、私の毒親的な態度が出てきました。

「なぜ辞めるなんて言うの。今、そう思っているだけでしょ。あなたが始めると言って始めた習い事なのよ。気分で辞めるとか言わないでよ。あなたにとってそんな簡単なことなの。簡単に辞められるの。そうだとしたら、最初からやるなんて言わないでよ。もういい。あなたがどう思うと、もうしばらくやり続けなさい。今辞めたら、後悔するわよ。そうならない程度になるまで、やり続けなさい。今すぐ辞めるなんて許しません」

私はこの時かなり頭に来ていました。彼女が言った「おもしろくない」という言葉の意味を追求するより前に、感情的に、かなり軽はずみに、やめるな、やめるなと言ってしまったのです。しかも、今辞めたら後悔するなんて、根拠のないことまで言い始めています。

この発言は毒親というほどのことではないのかもしれませんが、この時の私は彼女を「管理」しようとしていたように思うのです。

娘と私の関係はどうなる?

娘の気持ちを聞いてみる

「やめるな」と言った翌日、私は反省していました。あまりにも一方的過ぎる発言だったと思ったからです。そこで、娘に改めてどうして辞めたいのかと聞いてみました。

すると、

「あれやれ、これやれとうるさくて。全部、聞いてられない」

これは習い事の先生の態度を言っています。成長してもらいたいという思いから、先生からいろいろと指示が飛んでいるようで、最近、その指示の数が増えているそうです。

でも、この発言を聞いた時にも、私は娘に対してきつく当たってしまいました。

「それって、自分が楽をしようとしてない?だって、ほかの子はやってることなんだよね。それを自分がしたくないからって、やりたくないって言ってるんでしょ。ということは、もともとやる気なんかなかったんじゃないの」

私なりに彼女を鼓舞しようとして出た発言なのですが、こうして活字にしてみると、ただの嫌味にしか聞こえませんよね。私はこうしてねちねちと娘を痛めつけていたのではないかと思います。

時間をかけて距離を置く

私と娘との会話は常に平行線をたどっていました。私は彼女が今辞めてしまうのは惜しいという思いから、ついきつくなった語調でしたが、彼女からすれば、「ママは私のことをわかってくれない」と思っているか、「私のことは放っといて」のどちらかといったところでしょう。お互いに分かり合えそうな気配はありませんでした。

私もこれ以上、彼女に言うことは意味がないし、そもそも私も頑固で私の思い込みも変えようとは思ってなかったのが幸いして、しばらく時間を置くことになりました。

娘と私、分かり合えるようになったきっかけ

ある時、私は彼女の練習を見ていました。何気なく。彼女が辞めたいと言っていたことなども忘れて。

すると、あることに気づいたのです。

彼女がこの習い事を辞めたいと言っていた理由は、この習い事が嫌いなったわけではなく、この環境なんだ、と。常に競わせられるような環境での練習は、強気なタイプには向いているのでしょう。でも、うちの子の場合、周りが人よりうまくなろう、勝とうとする態度や熱気が、彼女自身の情熱を冷めさせていくように働いていたようなのです。自分は誰かの比較ではなく、ただうまくなろうとしているのに、周囲のことが気になって仕方がない。そのような環境で、さらに先生からは逐一もっとこれをしろ、あれをしろと言われる状況は、彼女のやる気を失わせていたのではないか、と。

そのように思えたら、彼女が辞めたいと言っていたことに合点がいきました。

私は改めて彼女と話す機会を持ちました。私の気付いたことを話してみると、彼女はこのように答えました。

「私は辞めたいわけじゃないの。でも、心の奥の方で私がやりたいと思えないの」

彼女がそう言った時、私は私の頭もしっかりと冷えました。これまでに、彼女は彼女なりに正直に私に辞めたい理由を話してくれていたのです。しかし言葉足らずで、その意味が伝わらなかったし、私も早合点してしまって彼女を理解できていませんでした。理解しようとしていたのですが、私は全く違う目線で彼女を見ていたのです。

 

彼女はまだその習い事を辞めてはいません。でも、近いうちに辞めることになるでしょう。でもその理由は安直なことではなく、彼女なりに習い事を通してやっていることを正面から見据えた結果でした。だから私は、習い事をやめるとかやめるなとかいうことを安易に言わず、彼女の動向を見守ることにしました。

まとめ

習い事を辞めるか続行か、というテーマひとつとっても、親の思った通りにはなりません。子どもには子供の人生があります。私が彼女を思い通りにコントロールすることはできません。

大切なことは、きっと、子どもが物事を自分なりに受け止めて、真剣に考えているのかどうかを察することなのだと思います。そこから出た答えに対して、親はまずは子供の答えを受け止めて、それからそれが意味することが何なのか、こちらも真剣に理解しようとすることが必要なのでしょう。感情的になってはいけないし、焦ってもいけない。それは、時にはとても大変なことだけれど、それが親の務めなのだと思います。

いい子ぶった考え方かもしれませんが、親は子供の付属物ではない以上、子どもの考え方を受け止めてあげることは簡単ではないということを前提に子供に接するべきなのでしょう。

偉そうなことを言ってますね。

子どもが習い事を辞めたいと言っただけのことです。小さなことなのですが、たったそれだけのことでも大きく動揺するのが親なのだと、改めて思った次第です。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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