「人の話、聞いてたの?」と言ってお子さんを怒ったことありますか。
私は先日、そう言って私のもうすぐ10歳になる娘を怒りました。
習い事が予定よりも早く終わったら、待ち合わせ場所に来て、と約束していたはずでした。しかも、忘れないようにと、時間を分けて何度か言っておいたのです。
ところが、実際には私の娘は何も聞いておらず、私が迎えに来るのを待っていました。
外でのトレーニングで暗くなってきたため、トレーナーと練習生、さらに練習生の親も一緒になって私のことを待っていました。
暗い中で、30分も。
コートを着なくては凍えそうな日に。
待ち合わせ場所に来るように言っておいたはず
まさかライトのない真っ暗ななかで、私のことを大勢で待っているとは思ってもみませんでした。
だから、迎えに行ったときには状況が飲み込めず、トレーナーたちにごめんなさいと言うと、すぐに矛先を私の娘に向けました。
「トレーニングが早く終わったら、私のところに来るように言っておいたよね」
人前でしたが、私は声をあげていました。
ドイツ人の前にもかかわらず日本語で怒り始めましたから、彼らにとっては何を言っているのかわかりません。
ただ、トレーナーだけは私がどんな話をしていたのか、想像がついていたと思います。
トレーナーはわたしのスマホに電話をかけてくれていたのですが、なぜか電話が鳴らないというアクシデントが起こりました。
私は私の娘とトレーナーたちを探す途中で電話をかけたために、そのことがわかったのです。そして、その電話で、娘にはトレーニングが終わったら私のところに来るように話しておいたということを伝えていました。
だから、私が私の娘を見てすぐに怒り始めた理由もわかったはずです。
迷惑をかけた!申し訳ない!
私は焦りました。
娘一人ではなく、トレーナーと練習生、それに練習生の親も巻き込んで、迷惑をかけたという思いが強かったからです。
また、スマホが鳴らなかったというアクシデントは娘のせいではないのですが、私はそのアクシデントのことで娘にあたっていたように思います。
スマホのアクシデントはわたしの恥。それを隠すために、娘が約束を忘れたことと問題をすり替えました。
これは私の大きな間違いです。
でも私は焦っていました。だから、スマホが鳴らなかったという恥と迷惑をかけたという思いから、私はこの場を何とか繕わなくてはならないと必死でした。
10才女子の面倒くささ
ただ、私の娘が私の言うことを聞いていなかったということは、以前から気になっていたことで、みんなに迷惑をかけた理由の一つだと思っています。
最近の彼女はすっかり生意気になってきて、大人の言うことをどこか笑ってあしらうようなところが出てきました。
私の意見はある、主張はある。そしてその意見は、大人と同等の価値がある。
そんな考えが見え隠れするのです。
もうすぐ10歳、小学4年生の子どもは、そういう年頃なのかもしれません。特にこの子は妹なので、上の子に鍛えられてきていますから、成長も少し早めかもしれません。
自分のことにしか興味がないというところがあり、人の話半分で聞いていることもあれば、話の途中なのにもうわかっている、みたいな態度をとってきます。
そして、ハイハイと、生半可な返事をするのも常です。
私は彼女の「ハイハイ」を信じてしまったがため、待ち合わせ場所の約束はわかっていると思っていました。ところが、彼女は何も聞いていなかった。だから、今回のようなことになったとも言えると思っています。
迷惑をかけたという思いで苦しむ
今回の反省として、スマホのトラブルがあったことを謝ってから、これからはしっかりと話を聞くようにと娘に言いました。それが娘のためだけでなく、みんなのためにもなるのだということを伝えました。
彼女はわたしの言うことを納得したので、それでおしまいとなりたかったのですが、まだ引っかかるものがありました。
それは、私はみんなに迷惑をかけたことです。
私はいつからか「人に迷惑をかけてはいけない」と思い込んでいます。
もしかしたらこの考え方は、日本人らしくありませんか。
日本人って、周囲の目を気にして生活しているところがありませんか。他人への迷惑を自分のこと以上に大事に思っているところがありませんか。
10年以上ドイツに住んでいるのですが、時々、日本人らしさが顔を出すのです。そして今回のようなことが起こると、みんなに迷惑をかけて申し訳ないという気持ちが募り、私は大変落ち込みました。
私はその思いを主人に伝えましたが、主人はそのことに気に掛けず、むしろ私の娘の話を聞かなかったことを気にしました。
そこで、私はママ友に相談することにしました。それで私は涙が出るほど感謝し救われたのです。
ドイツ人の個人主義に救われる
その人は私にこのように言ってくれました。
「待っていた人たちは一緒に待ちたかったから待っていたんだよ。怒っているんじゃない。嫌だったら、一緒に待ってないって。それがドイツ人だよ」
私は目から鱗が落ちたように感じました。
確かにここはドイツです。ドイツ人は個人主義。人のために何かするという発想はあるのですが、自分たちのことが優先されます。
娘と一緒に待っていた人たちは、待っていたかったから待っていた、と考える方がドイツ人らしいのです。トレーナーは責任があるので違ったかもしれませんが、彼らは待っていたから待っていたと考える方が腑に落ちます。
このことを私の主人に話しました。そして主人は驚くことなく、「そうだと思うよ」と同意。娘にも確かめました。すると、みんな楽しそうに話していて、誰一人怒っていなかったよ、と。
これが日本人だったらどうでしょう。
「ひとり先に帰るのは申し訳ないから、お付き合いで一緒待つか」と考える人がいてもおかしくないのではないでしょうか。
しかし、ドイツ人は「お付き合いで」とか「嫌だけど仕方ない」と考えで一緒に待つというのは考えにくいです。
その証拠に、私が遅れて娘を迎えに行ったとき、みんながイライラを募らせている様子はありませんでしたし、文句を言ってくる人もいませんでした。どちらかと言えば、和やかな空気が流れていました。
そして慌ててきた私を見て、「お迎えに来てよかった」とほっとして家路に着いたのです。
ドイツ人はそれほど気にしていないかも
もしも人に迷惑をかけたと思った時、少し落ち着いて考えてみてください。
私と同じような状況で人に迷惑をかけたと思ってくよくよすることがあれば、もしかしたらそれは悩むようなことではないのかもしれません。
人の顔色を窺うことが染みついている私(=日本人?)だからこその悩みかもしれません。
もちろん状況にもよりますが、ドイツ人の考え方の基本は「自分たちがしたいからする」です。その視点で考えれば、私が思っているほどに状況は悪くないのかもしれません。
彼らの個人主義的な考え方が自己中心的だと思えて腹が立つこともあるのですが、今回のような場合では救われることもあるのです。
ドイツ人との人間関係でトラブったと思った時には、彼らの個人主義的考え方を思い出してください。あなたが思っているほどに、私が思っていたほどに、状況は悪くないのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
【後日談】
一番、迷惑をかけたトレーナーに連絡を取ってみたところ、あまり気にしていない様子でした。(大人の対応をしてくれただけかもしれませんが、感謝です!)
また、私の娘との関係も変わりました。彼女と話すときに、お互いに目を見て話す機会が増えました。そして、話すテンポも変わったように思います。お互いがそれぞれに合わせているかのようで、話もよくわかりあえるようになったと思います。(気のせいかな?)
ともかく、娘と私の間で何かが変わったのは確かです。