食事を始めるときには「いただきます」、食事が終われば「ごちそうさま」。日本の食卓ではごく普通のあいさつだと思いますが、我が家のようにドイツ人の主人と日本人の私、そしてハーフの子どもたちの食卓でも、食事のあいさつは「いただきます」と「ごちそうさま」です。
長きにわたって行っている習慣で、日本語を話すことのない主人も日本語で「いただきます」と「ごちそうさま」と言っています。
ところで、現在、私たちは夫婦喧嘩の真っ最中です。
その理由を書くと面倒なので書きませんが、かなり怒っています。お互いに。
そして、口を開けば、「どうしてわからないの?」「お前から始めたんじゃないか」の応酬となり、まったく埒が明かずに2日目に突入しています。
そんな中でも食事担当の私は、いやいやながらも家族全員分の食事を作ります。もしも子どもがいなかったら、とっくに放棄していたかもしれない家事の一つかもしれません。この戦闘態勢中になぜ敵に施しを与えなくてはならないのか…一兵士のような心理状態です。
そして今日も食事を作ってしまいました。子どもたちはまだ学校から帰っていないので、主人ひとりだけが食事をします。
「いただきます」
ぼそっと言って、主人は食事を始めました。私は「うん」と、声に出ているかどうかの瀬戸際のような声を出しています。唸っていると言ったほうが近いかもしれません。
普段なら、食事を一人でさせるのはかわいそうなので、私が食事をしなくても食卓には着きます。お茶でも飲みながら付き合います。
しかし今日はそんな気分になれませんから、料理を作る時に使った調理器具などを洗います。バシャバシャと洗います。主人に背を向けながら。
しばらくすると、こんな声が聞こえてきました。
「ご、ちそう、さま、でした~」
外国人の彼でも言い慣れているフレーズなのですが、外国語なまりは隠せません。そのため、「ご、ちそう、さま、でした~」のように微妙なところに間が入り、さらにちょっと癖のあるアクセントも加わって、なんだか陽気に聞こえます。何を楽しそうに言ってるんだ?と思ったのもつかの間、彼にとっては普通の発音であり、いつものあいさつでした。不覚にも気が緩み、思いもしていなかったことを思ったのです。
「そっか、この人。こんな風にあいさつしてたんだ。いや、私がこういう日本のあいさつをさせていたのか」と。
彼は外国の文化である「ごちそうさまでした」を受け入れているんだと思ったら、心のどこかが緩んできました。私だけが異文化を受け入れようと大変な思いをしているのではなく、彼は彼で私の文化を受け入れてくれていると思えたら、急に主人に親しみを覚えてしまったのです。
夫婦喧嘩の真っただ中でも、彼は食事が終われば「ご、ちそう、さま、でした~」と言うのです。これが私たちの関係性の長さと深さの証のように思えてしまいました。
ああ、離れられないんだなあ。
相手のことを理解できずに喧嘩することもあるけれど、やはりお互いパートナーとしてやってきた年月があり日常があり、それはかけがえのないことだと思えたら、喧嘩もそろそろ止め時かと思えてきました。
もしも夫婦喧嘩をしてしまい、お互いが歩み寄るきっかけを見失っているのなら、温かい食事を一品、作るのがいいのかもしれません。ドイツ人の夕食のようにパンとチーズよりは、温かい食事の方が、このような状況では合っているようです。温かい食事を出されて、自然と「いただきます」「ごちそうさま」というあいさつを言い、それに答えてしまう自分がいたら、許してやろうかという気になれるかもしれません。必ず仲直りができるという保証はありませんが、緊迫した状況を少し緩めるくらいの効果があるようです。
他人の夫婦喧嘩なんて食えない話だというのに、最後まで読んでくださってありがとうございました。